佐渡の艦歴

 年 月 日:艦歴

17.02.21:起工、仮称艦名:第312號艦 17.08.20:命名:達第233号:「佐渡」(サド) 17.08.20:類別等級制定:内令第1554号:種別:海防艦、類別:海防艦、艦型:占守型 17.08.20:本籍仮定:内令第1548号:佐世保鎮守府 17.11.28:進水 18.02.20:艤装員長:海軍中佐 松林 元哉 18.02.24:艤装員事務所を日本鋼管株式會社鶴見造船所(八洲寮)に設置し事務を開始 18.03.27:竣工、艤装員事務所を撤去 18.03.27:本籍:内令第517号:佐世保鎮守府 18.03.27:海防艦長:海軍中佐 松林 元哉
18.03.27:戦時編制:聯合艦隊南西方面艦隊第一海上護衛隊 18.03.27:横須賀 18.04.01:艦隊区分:艦船番号(11) 18.04.01:軍隊区分:北支隊 18.04.18:横須賀〜04.21門司 18.04.14:(J船団護衛)門司〜04.29高雄 18.05.03:(第258船団護衛)高雄〜05.07門司 18.05.12:(P船団護衛)門司〜05.15高雄 18.05.18:将旗掲揚 18.05.18:(第263船団護衛)高雄〜05.22門司 18.05.27:将旗撤去 18.05.31:(第161船団護衛)門司〜      〜06.02 0430(N28.15-E125.09)「富士丸」と「帝亞丸」が触衝、小破〜      〜06.02 1020 哨戒機の誘導に依り敵潜らしきものを探知爆雷〜      〜06.04高雄 18.06.08:(第270船団護衛)高雄〜06.12佐世保 18.06.--:修理 18.06.27:佐世保〜06.27門司 18.06.29:(W船団護衛)門司〜      〜06.30 0550 特設運送船日章丸」が敵潜発見〜      〜07.01高雄 18.07.03:(H船団護衛)高雄〜07.06門司 18.07.10:(ヒ01船団護衛)門司〜      〜07.19 遭難機を発見、銃撃処分〜       〜07.19昭南 18.07.22:将旗掲揚 18.07.23:(ヒ02船団護衛)昭南〜07.29高雄 18.07.29:将旗撤去 18.07.30:(ヒ02船団護衛)高雄〜08.03佐世保 18.08.01:軍隊区分:電令作第93号:廃止、直率 18.08.09:佐世保〜08.09門司 18.08.10:(第185船団護衛)門司〜08.15馬公 18.08.15:艦隊区分:機密第一海上護衛隊法令第20号:廃止、艦船番号:(11) 18.08.16:馬公〜      〜08.16 ----(N24.55-E120.50)対潜掃蕩〜      〜08.18 2336(N23.28-E120.38)浮上潜水艦を発見、砲撃4発、爆雷12個投下〜      〜08.20馬公 18.08.23:馬公〜08.23左営08.24〜08.24馬公 18.08.30:馬公〜      〜08.30 0800 高雄港外にて海防艦擇捉」と交代、ヒ07船団護衛〜      〜09.06昭南 18.09.11:(ヒ08船団護衛)昭南〜09.19富江 18.09.21:富江〜09.21佐世保 18.09.--:佐世保海軍工廠にて修理 18.09.27:佐世保〜09.27門司 18.09.29:(テ01船団護衛)門司〜10.03高雄 18.10.05:海防艦長:海軍中佐 谷口 信義 18.10.13:(第211船団護衛)高雄〜      〜10.15 1124 敵潜掃蕩〜      〜10.16 0925 掃蕩終了〜      〜10.16 1640 敵潜掃蕩〜      〜10.16 1649(N25.49-E127.18)直衛機の誘導に依り船団前程8000mに進出、爆雷攻撃27個〜      〜10.17 1300 敵情を得ず、敵潜捜索を打切り船団を追躡〜      〜10.18 1254 第211船団護衛〜      〜10.20佐世保 18.10.--:入渠修理 18.10.30:主機械滑動部全部分解検査完了 18.10.30:佐世保〜11.01門司 18.11.03:(第111船団護衛)門司〜11.08高雄 18.11.13:(第219船団護衛)高雄〜11.19寺島水道11.20〜11.21佐世保
18.11.15:戦時編制:海上護衛総司令部第一海上護衛隊 18.11.21:修理開始 18.11.--:入渠 18.11.30:官房艦機密第6007号:海防艦佐渡に電波探信儀装備の件訓令       佐世保海軍工廠をして首題の件左記に依り施行せしむべし        記      1.工事要領       (イ)新設電波探信室に假稱二號電波探信儀二型改二 一組を装備し電源装置、通信装置等を完備           するものとす       (ロ)別送圖要領に依りD6旋回装置一組を装備し所要の諸装置を完備するものとす      2.所要兵器        海軍艦政本部長をして直接佐世保海軍軍需部長に通牒せしむ      3.試験        左の試験を施行するものとす       (イ)電波探信儀の探信能力       (ロ)電波探信儀と本艦固有の無線通信装置との相互干渉       (ハ)其の他必要と認むる試験      4.完成期        成るべく速に      5.費目       (省略) 18.12.20:電波探知機装備工事完了 18.12.23:佐世保〜12.24門司 18.12.26:門司〜三田尻冲諸訓練〜12.28門司 18.12.31:(ヒ29船団護衛)門司〜      〜01.02 0250 対潜掃蕩〜      〜01.02 2200 ヒ29船団護衛〜      〜01.03 1750(N16.50-E125.10)「阿蘇山丸」が潜望鏡を発見、之に対し爆雷攻撃〜      〜01.03 2200 敵情を得ず掃蕩を打切り船団を追躡〜      〜01.04高雄 19.01.06:(ヒ29船団護衛)高雄〜01.09マニラ01.10〜01.15昭南 19.01.19:(ヒ30船団護衛)昭南〜      〜01.26 1620 敵潜掃蕩〜      〜01.28サンフェルナンド 19.01.28:(ヒ30船団護衛)サンフェルナンド〜01.30高雄 19.01.31:(ヒ30船団護衛)高雄〜      〜02.03 0416(N28.32-E124.04)海軍配當船五洋丸」被雷、「ありあけ丸」沈没〜      〜02.03 1048(N28.53-E124.19)反響音捕捉第一回爆雷攻撃〜      〜02.03 1056 第二回爆雷攻撃〜      〜02.03 1140 第三回爆雷攻撃(3回計48個)〜      〜02.03 1901 「ありあけ丸」乗員19名、「五洋丸」乗員177名(内便乗者121名)を収容〜      〜02.04 1130(N28.48-E124.00)海軍配當船「五洋丸」に乗員を移乗させ調査〜      〜02.04 2000 敵潜掃蕩を中止し「五洋丸」を警戒〜      〜02.05 0300 スコール性強風にて「五洋丸」を見失う〜      〜02.05 ----(N28.44-E123.38)海軍配當船「五洋丸」沈没〜      〜02.05 1550 一海護機密第1550番電(門司に回航を取止め基隆に回航し待機せよ)〜      〜02.06基隆 19.02.08:(タモ01A船団護衛)基隆〜      〜02.12 護衛終了〜      〜02.12佐世保 19.02.13:爆雷投下軌道増設、艦橋防弾鈑装備、応急灯装備、右舷燃料喞筒修理、発電機開放検査 19.02.19:工事、修理、検査完了 19.02.23:佐世保〜      〜ヒ49船団護衛〜      〜02.28高雄 19.02.29:(タモ07船団護衛)高雄〜03.05聖雀 19.03.07:(ヒ49船団護衛)聖雀〜      〜03.10 護衛終了〜      〜シサ09A船団護衛〜      〜03.11 護衛終了〜      〜03.11昭南 19.03.15:(ヒ50船団護衛)昭南〜03.18聖雀03.20〜03.24マニラ03.27〜03.30高雄 19.04.01:(ヒ50船団護衛)高雄〜04.02馬公04.04〜04.08門司 19.04.08:門司〜04.09佐世保 19.04.09:佐世保海軍工廠にて電波探知機、水中探信儀記録装置、同整流覆新設、爆雷投射機及び爆雷庫増設 19.04.13:入渠 19.04.20:出渠 19.04.26:佐世保〜04.27門司 19.05.03:(ヒ61船団護衛)門司〜      〜05.08 0618(N19.19-E120.00)「あかね丸」被雷小破〜      〜05.10マニラ 19.05.12:(ヒ61船団護衛)マニラ〜05.17昭南 19.05.23:(ヒ62船団護衛)昭南〜05.29マニラ 19.06.01:(ヒ62船団護衛)マニラ〜06.08門司 19.06.09:門司〜06.09佐世保 19.06.10:佐世保海軍工廠にて主機械シリンダー入子換装(07.08まで) 19.07.09:佐世保〜07.09唐津湾07.10〜07.10門司 19.07.13:(ヒ69船団護衛)門司〜07.20マニラ 19.07.25:(ヒ69船団護衛)マニラ〜      〜07.16 1540(N26.13-E122.39)敵潜掃蕩〜      〜07.18 1055(N21.50-E119.54)「第十七號海防艦」が被雷小破〜      〜07.20マニラ 19.07.25:(ヒ69船団護衛)マニラ〜07.31昭南 19.08.04:(ヒ70船団護衛)昭南〜      〜08.12 敵潜掃蕩〜      〜08.13 船団より分離〜      〜08.14基隆 19.08.15:(「瑞興丸」護衛)基隆〜      〜08.16 護衛終了〜      〜08.16左営 19.08.16:軍隊区分:第三掃蕩小隊 19.08.17:(ヒ71船団掃蕩隊)左営〜      〜08.18 0524(N20.28-E121.04)「永洋丸」被雷小破、驅逐艦「夕凪」が護衛し分離〜      〜08.18 2225(N18.12-E120.22)航空母艦大鷹」被雷沈没〜      〜08.18 2310(N18.09-E119.56)「帝亞丸」被雷沈没〜      〜08.19 0032(N18.10-E119.55)特設運送船能代丸」被雷中破〜      〜08.19 0033(N18.03-E120.00)「阿波丸」被雷小破〜      〜08.19 0320(N17.40-E119.30)運送艦速吸」被雷沈没〜      〜08.19 0400(N18.00-E120.00)陸軍徴傭船玉津丸」被雷沈没〜      〜08.19 0510(N17.50-E119.30)特設運送船帝洋丸」被雷沈没〜      〜08.21 敵潜掃蕩〜      〜08.22 0500 被雷
19.08.22:沈没 19.08.22:海防艦長:海軍大佐 谷口 信義(戦死) 19.10.10:類別等級削除:内令第1159号 19.10.10:除籍:内令第1165号
喪失場所:N14.15-E120.05 マニラ西方35マイル 喪失原因:米潜水艦Haddo(SS-255)の雷撃

同型艦

 擇捉松輪隠岐六連壹岐對馬若宮平戸m]天草滿珠干珠笠戸

兵装

(計画時)
 四十五口径三年式十二糎砲G型3門、二十五粍二聯装機銃2基、
 九六式軽機銃2挺、一四式拳銃25丁、三八式小銃50挺、
 九六式三米測距儀1基、九六式六十六糎測距儀1基、
 九三式水中聴音機1基、九三式探信儀一型1基、須式七十五糎探照燈四型改一1基、
 九四式投射機1基、爆雷装填台三型1基、爆雷水圧投下台三型2基、爆雷手動投下台一型4基、
 九五式爆雷36個、
 小掃海具一型改一2組、水中処分具一型2基。

写真資料

 雑誌「世界の艦船」海人社 1996年2月号増刊「日本海軍護衛艦艇史」(P.11)
 雑誌「世界の艦船」海人社 2017年12月号増刊「日本海軍護衛艦艇史」(P.11)
 雑誌「丸スペシャル」潮書房 No.28「海防艦」(P.10)
 「写真日本海軍全艦艇史」 潟xストセラーズ H06.12 福井静夫(2265)

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