生田川丸の船歴

 年 月 日:船歴

19.03.15-:起工 19.06.25:進水、命名:生田川丸 19.07.27:竣工
19.--.--:新規登録 19.07.27:登録検査、船級:TK N.S.* f、船級番号:1742
19.07.--:徴傭:船舶運營會 19.07.30:因島田熊〜07.31門司 19.08.02:門司〜08.03唐津08.06〜08.10秦皇島08.12〜08.19広畑 19.08.--:石炭搭載 19.08.21:広畑〜08.22神戸 19.08.23:解傭
19.08.23:徴傭:一般徴傭船(雑用船)、呉鎮守府所管、海軍省配属 19.08.24:徴傭発令:       授受地:神戸       授受年月日:昭和19年8月23日       記事:呉鎮守府から大阪警備府に委託 19.08.25:神戸〜08.31横須賀 19.09.--:機械、ドラム缶400t搭載 19.09.06:甲直接護衛部隊機密第061732番電:本船、公稱第三九九八號重油船を以て第3908船団編成 19.09.08:横須賀〜09.08館山 19.09.09:(第3908船団)館山〜09.13父島 19.09.14:(第4913船団)父島〜09.17横須賀 19.09.--:震洋隊搭載 19.09.21:横鎮電令作第661号:      1.甲直接護衛部隊指揮官は生田川丸(母島行)及び芝園丸を以て第三九二三船団を編成、        之が東京湾、父島、母島間護衛を実施すべし      2.生田川丸は震洋隊搭載しあり、各部隊指揮官は護衛に関し特に留意すべし 19.09.22:東京湾北航路部隊電令作第257号:      1.第三九二三船団(生田川丸、芝園丸、第三九九八號重油船、護衛艦:第十二號海防艦、        第四十四號驅潜艇第五十一號驅潜艇)24日0400館山出撃、三宅島の北東10浬より        針路150度、爾後東経141度35分の線より南下、父島に向う、速力6節      2.東京湾部隊指揮官及び館山海軍航空隊司令は前項船団は重要船団に付、特に警戒を厳にすべし 19.09.23:横須賀〜09.23館山 19.09.24:第3923船団「芝園丸」揚錨機故障の為、出港延期 19.09.25:(第3923船団)館山〜舵機故障〜09.26八丈島八重根 19.10.06:(第3001船団)八丈島〜父島に向うが荒天のため引返す〜10.06八丈島 19.10.06:応急修理 19.10.07:八丈島〜清水 19.10.09:清水〜      〜10.09 1030 「第百五十五號驅潜特務艇」が護衛開始〜      〜10.09 1500 「第百五十五號驅潜特務艇」が護衛終了〜      〜10.09横須賀 19.10.14:甲直接護衛部隊電令作第276号:生田川丸、海光丸、公稱第3998號重油船、      千鳥、天草、旗風及び第二十九號掃海艇を以て第3017船団を編成 19.10.18:横須賀〜10.18館山 19.10.19:(第3017船団)館山〜10.23母島西浦 19.10.23:(第4023船団乙)母島〜横須賀向け航行
19.10.24:沈没  19.11.30:解傭
喪失場所:N27.15-E143.19 父島東方110km附近 喪失原因:米潜水艦Kingfish(SS-234)の雷撃

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2D型戦時標準船

兵装

 要調査。

写真資料

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