ふろりだ丸の船歴

 年 月 日:船歴

T12.12.25:起工 T13.10.27:進水、命名:ふろりだ丸  T14.02.21:竣工、船主:株式會社川崎造船所、登録総噸数:5,845、登録純噸数:3,651
T15.01.27:神戸〜名古屋〜横浜〜サンフランシスコ〜ポートランド〜シアトル〜タコマ〜      〜バンクーバー〜大連〜大沽〜青島〜上海 04.06.19:傭船主:川崎汽船株式會社
07.--.--:徴傭 07.02.05:上海港満鉄桟橋に立川飛行隊を揚陸 --.--.--:解傭
08.06.19:バンクーバー 11.03.--:中南米西海岸線 14.--.--:船主:川崎汽船株式會社に変更 14.07.19:米汽船"Associated"より日本郵船株式會社「墨洋丸」遭難者移乗〜横浜 17.--.--:登録総噸数:5,854、登録純噸数:3.647に変更
17.11.28:徴傭:一般徴傭船(雑用船)、呉保鎮守府所管、海軍省配属 17.11.30:船長:海軍嘱託 白木 了一(部内限り奏任官待遇) 17.12.01:神戸〜12.03大阪 17.12.--:運貨船搭載 17.12.04:大阪〜12.07横須賀12.08〜12.08横浜 17.12.--:運貨船陸揚、建築材料、兵器、糧食、油類搭載、便乗者908名乗船 17.12.12:横浜〜12.24ラバウル 17.12.--:建築材料等陸揚、便乗者下船 18.02.01:軍隊区分:第八艦隊、南東方面艦隊指揮下 18.02.--:兵器、弾薬、糧食搭載、便乗者10名乗船 18.03.12:ラバウル〜パラオ向け航行〜      〜03.15 1115 「桃葉丸」被雷、救難〜      〜03.15 1355 本船右舷機械室と四番艙の境目に被雷、船尾沈下、左舷に約7度傾斜〜      〜03.15 便乗者30名、英霊56柱を第二十三號驅潜艇に移し総員退船〜      〜03.16 船員の一部帰船、応急修理〜      〜03.17 乗員、便乗者全員帰船〜      〜03.18 特設運送船東寧丸」が曳航〜      〜03.20メーウェー 18.03.--:応急修理 18.04.01:1700 空襲 18.04.03:0340 米陸軍第5航空隊B-17の空爆を受け至近弾数発、         修理中の被害箇所より屈曲、浅瀬に座礁 18.04.04:0310 B-24 4機の空爆により船体前部に直撃弾1、至近弾数発、船体放棄
18.04.06:沈没  18.05.31:解傭
喪失場所:S02.35-E150.49 マンネ島269度3.1km 喪失原因:B-24による空爆

同型船

 玖馬丸

兵装

 三八式野砲。

写真資料

 雑誌「船の科学」船舶技術協会 1987年11月号「日本商船隊の懐古 No.100」山田早苗
 雑誌「世界の艦船」海人社 1998年12月号「思い出の日本貨物船その28」
 「船舶史稿」船舶部会「横浜」第十巻(P.118)
 "ONI 208-J (Revised) Japanese Merchant Ships Recognition Manual (1944)"(P.253)
 "Rescue of the Bokuyo Maru 1939"他
 "City of Vancouver Archives", Reference code: AM1506-S3-2-: CVA 447-2218, AM1506-S3-2-: CVA 447-2218.1

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