東亞丸・第二號東亞丸の船歴

 年 月 日:船歴

12.12.03:起工 13.12.08:進水、命名:東亞丸 14.07.31:竣工
16.08.18:徴傭:一般徴傭船(雑用船)、横須賀鎮守府所管
16.--.--:〜08.28名古屋 16.08.28:名古屋〜08.29横須賀08.30〜08.30横浜09.01〜09.28カラオ09.29〜      〜10.04バルパライソ10.05〜10.15ブエノスアイレス10.24〜10.29リオデジャネイロ11.01〜      〜12.14横浜12.18〜12.19大阪12.24〜12.24神戸 16.12.24:川崎重工業株式會社にて艤装工事開始
17.01.10:入籍:内令第77号:特設運送船(雑用船)、佐世保鎮守府所管
17.01.10:戦時編制:海軍省配属、佐世保鎮守府所属、特設運送船(乙) 17.01.15:官房機密第513号:「第二號東亞丸」と改名 17.01.15:軍隊区分:機密佐世保鎮守府命令作第14号:直卒部隊 17.01.16:艤装工事完了 17.01.16:神戸〜01.18崎戸01.19〜01.20徳山01.27〜01.27呉 17.02.02:呉〜02.09ダバオ02.27〜03.01ガラスマオ03.10〜03.16横浜03.20〜03.20横須賀 17.02.05:軍隊区分:機密佐世保鎮守府命令作第16号:直卒部隊 17.03.--:運輸機密第517番電:軍需品輸送 17.03.28:横須賀〜04.01サイパン04.05〜04.05大宮島04.07〜04.09パラオ04.15〜      〜04.19トラック04.24〜04.30呉 17.05.09:軍隊区分:大海機密第435番電:05.10以降当分の間、第二艦隊司令長官の指揮下、      (第十一、十二設営隊輸送用) 17.05.15:官房機密第5990号:訓令:九二式七粍七単装機銃A型1基、三八式小銃5挺供給 17.05.19:呉〜      〜05.20 0400 特設運送船南海丸」、陸軍徴傭船「善洋丸」を合同し豊後水道発〜      〜05.25サイパン 17.05.26:軍隊区分:機密MI攻略部隊護衛隊命令第1号:輸送隊第二分隊(船番号:5) 17.05.28:(MI攻略作戦)サイパン〜      〜06.06 0047 聯合艦隊電令作第161号によりMI攻略を中止〜      〜06.13トラック 17.06.12:官房機密第7246号:訓令:四十口径安又は四一式八糎砲1門装備 17.06.19:大海機密第855番電:第二艦隊司令長官の指揮を解き、第四艦隊司令長官の指揮下 17.06.20:トラック〜06.23カビエン 17.07.03:カビエン〜07.05トラック 17.07.06:トラック〜07.12横須賀 17.07.14:横須賀〜07.14東京07.15〜07.16神戸07.20〜07.21呉 17.07.15:軍隊区分:第四艦隊司令長官の指揮を解く 17.07.26:呉〜07.26横浜〜08.05スラバヤ08.08〜08.10クーパン08.13〜08.15アンボン08.19〜      〜08.25トラック08.27〜08.31ミレー09.03〜09.04イミエジ09.04〜      〜09.04ジャボール09.05〜09.06クエゼリン09.07〜09.14横須賀 17.09.16:横須賀〜09.16横浜09.18〜09.20新居浜09.28〜09.28大阪10.01〜10.02六連 17.10.02:六連〜10.06高雄 17.10.09:高雄〜10.16ケンダリー10.17〜10.18ポマラ11.11〜11.16メナド11.21〜11.29大阪 17.12.02:大阪〜12.03新居浜12.06〜12.06呉 17.12.--:第十九設営隊第二班乗船 17.12.11:呉〜      〜12.12 「第三十一號哨戒艇」が北緯29度線まで護衛開始〜      〜12.22ラバウル 18.01.21:ラバウル〜01.22ショートランド01.23〜01.23コロンバンガラ 18.01.24:コロンバンガラ〜01.24ショートランド01.25〜01.26ラバウル 18.01.30:ラバウル〜 18.01.30:米海兵隊のSBD(VMSB 233)8機、SBD(VMSB 142)4機、F4F(VMF 112)6機の空襲を受ける
18.01.30:沈没 18.04.01:除籍:内令第587号 18.04.01:解傭
喪失場所:S07.45-E156.51 ベララベラ島南方10km付近 喪失原因:米海兵隊のSBD(VMSB 142)による爆撃

同型船

 西阿丸南阿丸興津丸尾上丸

兵装

 四十口径八糎砲1門、九二式七粍七単装機銃1基、三八式小銃5挺。

写真資料

 「海軍雑誌 海と空」 昭和14年02月号 海と空社
 雑誌「海運」日本海運集会所出版部 昭和14年1月号、昭和14年9月号
 「船舶史稿」船舶部会「横浜」第六巻(P.138)
 「商船が語る太平洋戦争」H14.05 野間恒
 「商船三井船隊史」 H21.04 野間恒(P.146)
 「商船三井 船舶史 1884-2010」 H22.12 木津重俊
 "The World's Merchant Fleets 1939" Chatham Publishing 1999 Roger Jordan(P.259)
 "Australian War Memorial", ID Nos. 304052, 304052_1 & 304052_2

備考

「大東亜戦争徴傭船舶行動概見表」によると最後は昭和18年1月30日ラバウル発となっておりますが、沈没地点とラバウルは直線距離で650kmほどあり本船の航海速力13.9ktでは24時間かけても617kmしか到達できません。本船が空爆を受けたのは昭和18年1月30日16:05から16:20にかけてであり少なくともラバウル発は1月29日15:30以前でないと辻褄があいません。ベララベラ島方面への輸送にはショートランドを発地とすることが多いので昭和18年1月30日ラバウル発というのはショートランド発の誤りかもしれません。なお、喪失原因及びラバウル発日についてご教示いただいたMr. Allan Alslebenに感謝申し上げます。


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